古事記にみる相撲の起源「国譲りの神話」
「古事記」とは、日本に現存する一番古い歴史書のことです。その古事記には、相撲の起源とされる「国譲りの神話」が記されています。
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古事記とは
「古事記」とは、日本に現存する一番古い歴史書のことです。古事記には、天地の始まりから推古天皇の時代までの、さまざまな神話や伝説などが記されています。(歴史書というより、どちらかというと文学書より)
古事記は、天武天皇が側近の稗田阿礼に、ごちゃごちゃになっていた皇室の記録「帝紀」と神話や伝説を記した「旧辞」を正しく暗唱するよう命じたのが始まりです。
そして、稗田阿礼が覚えた語りを、次は元明天皇の命令によって太安麻呂が文章につづって記録することで、712年(和同5年)に古事記が完成しました。
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国譲りの神話
古事記には、相撲の起源とされる「国譲りの神話」が記されています。
「国譲りの神話」では、天照大神が国譲りを拒んだ大国主命に対し、建御雷神を派遣する様子が書かれています。
相撲の起源とされるのは、大国主命の代わりに、息子の建御名方神が、派遣された建御雷神と「力くらべ(相撲)」によって国を譲るかどうかを決めようとするシーンです。
言誰来我国而、忍忍如此物言。然欲為力競。故、我先欲取其御手。故、令取其御手者、即取成立氷、亦取成剣刃。
「誰ぞ我が国に来て、忍び忍びにかく物言ふ。然らば力競べせむ。故、我先にその御手を取らむ」と言ひき。故、その御手を取らしむれば、すなはち立氷に取り成し、また剣刃に取り成しつ。
故爾惧而退居。爾欲取建御名方神之手、乞帰而取者、如取若葦扼批而投離者、即逃去。
故ここに惧りて退き居りき。ここにその建御名方神の手を取らむと乞ひ帰かへして取りたまへば、若葦を取るが如、扼み批ぎて投げ離ちたまへば、すなはち逃げ去にき。
2人の「力くらべ(相撲)」の様子は、お互いに手を取り合い、手を押しつぶし合うような相撲でした。
実際は、建御名方神が建御雷神の手をつかもうとすると、建御雷神の手がツララになったり刃になったり、今度は反対に建御雷神が建御名方神の手をつかんだと思ったら、その手を握りつぶして放り投げてしまった…という、なんとも不思議なパワーも働く「力くらべ(相撲)」だったようです。
当然、この「力くらべ(相撲)」の勝負は天照大神から派遣された建御雷神の勝利となりました。
多くの民俗学者や歴史家によると、「古事記」の「国譲りの神話」という、いわば天照大神と大国主命の領地争いの問題にこの「力くらべ」の様子が取り入れているのは、お互いに手を取り合って投げ合うスタイルの「力くらべ」が昔からあったからだろうというのが定説となっているようです。
ちなみに、建御雷神は武神としてスポーツマンや力士たちの崇敬を集め、建御名方神も勇武を好む神様として、昔から神事相撲を奉納されています。
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荒々しい格闘技が「相撲の起源」?
古事記の「国譲りの神話」の相撲の起源とされている物語は、お互いに手を取り合って投げ合うスタイル。相撲というより、荒々しい格闘技のようです。
現在の相撲の様子とは全然違うのにどうして「相撲の起源」といわれているのでしょうか。それは「相撲」という言葉の由来を辿っていくとわかります。
「すもう」という言葉は、もともと「争う」「抵抗する」という意味の動詞「すまふ」に由来すると考えられています。
「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞として用いられ、これに漢語の「相撲」の表記があてられたのです。古くは「すまひ」と発音されました。
「すまひ」という言葉はもともと競い合うこと全般を意味する言葉だったので、組み打ちも「すまひ」、殴り合いや蹴り合いもすべて「すまひ」とよばれました。
古事記の相撲が荒々しい格闘技の様子だったとしても、それは「相撲」の言葉が持つ意味を考えれば当然だということがわかります。
古事記の相撲の起源を伝える物語は、今の相撲の姿になる前の、いわば、原始的な相撲(すまひ)の様子を今に伝えていると推測できます。
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