【相撲の歴史】日本書紀にみる相撲節の起源

日本書紀にみる相撲節の起源

「日本書紀」とは、奈良時代の歴史書のことです。その日本書紀には、「相撲節すまいのせち」の起源とされる「野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはや」の相撲の話が書かれています。

※「相撲節」とは、平安時代、朝廷で公式の儀礼として行われた相撲行事のことです。

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日本書紀とは

日本書紀にほんしょき」とは、720年(養老4年)の奈良時代に完成した日本の歴史書のことです。

古事記が国内向けの歴史書なら、日本書紀は外国向け(東アジア向け)の歴史書だといわれています。

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野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはや

その日本書紀には、「相撲節すまいのせち」の起源とされる「野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはや」の相撲の話が書かれています。

七年秋七月己巳朔乙亥、左右奏言「當麻邑、有勇悍士、曰當摩蹶速。其爲人也、强力以能毀角申鉤、恆語衆中曰『於四方求之、豈有比我力者乎。何遇强力者而不期死生、頓得爭力焉。』」


七年ななとせ秋七月ふみづき己巳つちのとみつきたちとし乙亥きのとゐ(七日)、左右もとこことまをさく当麻邑たいまむらに、いさみたる悍士たけきひと有り、当摩蹶速たいまのけはやまをす。其の為人ひととなり、力強く以ちてよくすみこほべ、つねもろもろの中に語らはく(曰)『(於)四方よもに(之を)求むらく、あにおのが力をくらぶるひと有りいかに力強きひとひて(而)死にも生きも不期かぎらずひたふるちからあらそはむや(焉)。』とかたらふ」とまをす。


天皇聞之、詔群卿曰「朕聞、當摩蹶速者天下之力士也。若有比此人耶。」一臣進言「臣聞、出雲国有勇士、曰野見宿禰。試召是人、欲當于蹶速。」卽日、遣倭直祖長尾市、喚野見宿禰。


天皇之を聞きたまひ、群卿まへつきみたちのたまはく( 曰)、「わが 聞こゆるに、当摩蹶速天下あめのした力士ちからひとなりもしやくらぶる人有り。」とのたまひ、 あるまへつきみ進言まをさく、「やつかれの聞こゆるに、出雲の国に勇士たけきひと有り、野見宿祢のみのすくねまをす。是の人をし、(于)蹶速にあてむことこころみむとのぞみまつる。」とまをす。即日そのひに、倭直やまとのあたひおや長尾市ながをちつかはし、野見宿祢をさしむ。


於是、野見宿禰、自出雲至。則當摩蹶速與野見宿禰令捔力。二人相對立、各舉足相蹶、則蹶折當摩蹶速之脇骨、亦蹈折其腰而殺之。


於是ここに、野見宿祢、出雲り至る。すなはち当摩蹶速野見宿祢と、捔力すまひとらむ。二人ふたりあひ対立むかひたちおのもおのも足を挙げ相み、すなはち当摩蹶速脇骨わきぼねふみくじきまた其の腰を踏みりて(而)(之を)殺す。


故、奪當摩蹶速之地、悉賜野見宿禰。是以、其邑有腰折田之緣也。野見宿禰乃留仕焉。


かれ、当摩蹶速之ところを奪ひ、ことごと野見宿祢にたまはる。是以こをもちて、其のむらに有る腰折田こしをれたよしは(也)、野見宿祢とどまりつかへまつればなり(焉)。

野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはやが相撲を取るきっかけとなったのは、力自慢の当麻蹶速たいまのけはやが、自分より強い人がいるならぜひ力くらべをしたいと言いふらしていたのが始まりです。

それを聞いた垂仁天皇すいにんてんのうが、出雲の国の、これまた強いと噂の野見宿禰のみのすくねを呼び寄せ相撲対決をさせました。

これが初めての天覧相撲となり、「相撲節」の始まりだとされています。

初めての天覧相撲の様子はというと、2人はお互いに足をあげて蹴り合い、最終的に出雲の国からきた野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはやのあばら骨を蹴り折り、さらに腰を踏み折って勝利しました。

そして野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはやの領地をすべて与えられ、出雲に戻らずその後も天皇にお仕えしたというところで初めての天覧相撲は終わります。

野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはやによる初めての天覧相撲は「垂仁天皇7年7月7日」に行われたとされています。

この初めての天覧相撲が「垂仁天皇7年7月7日」に行われたとされる理由は、「日本書紀」が編集された奈良時代、相撲が七夕を中心とした行事のひとつだったので、当時の相撲行事の起源となるよう「7月7日」に設定したのではないかと考えられています。

ちなみに「野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはや」の伝説は、大和に古くから住む先住民族(神話上の出雲族)と、後からきた天皇族との交渉を相撲物語によって伝えたのではないかという学説もあるようです。

さらに余談ですが、この話は4世紀はじめごろ、古墳時代の話だと推定されており、野見宿禰のみのすくねは相撲の始祖だけでなく、土師(陶器)の開祖としても全国各地の宿禰神社でお祀りされています。

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荒々しい格闘技が「相撲の起源」?

「相撲」という言葉の由来

日本書紀の「野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはや」の相撲節の起源とされている物語は、キックボクシングのようなスタイル。相撲というより、荒々しい格闘技のようです。

現在の相撲の様子とは全然違うのにどうして「相撲節の起源」といわれているのでしょうか。それは「相撲」という言葉の由来を辿っていくとわかります。

「すもう」という言葉は、もともと「争う」「抵抗する」という意味の動詞「すまふ」に由来すると考えられています。

「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞として用いられ、これに漢語の「相撲」の表記があてられたのです。古くは「すまひ」と発音されました。

「すまひ」という言葉はもともと競い合うこと全般を意味する言葉だったので、組み打ちも「すまひ」、殴り合いや蹴り合いもすべて「すまひ」とよばれました。

日本書紀の相撲が荒々しい格闘技の様子だったとしても、それは「相撲」の言葉が持つ意味を考えれば当然だということがわかります。

日本書紀の相撲節の起源を伝える物語は、今の相撲の姿になる前の、いわば、原始的な相撲(すまひ)の様子を今に伝えていると推測できます。

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