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【第19代横綱】常陸山谷右衛門(ひたちやまたにえもん)

最終更新日:2018.12.14

第19代横綱 常陸山谷右衛門のプロフィール

[しこ名] 常陸山 谷右衛門
[ふりがな] ひたちやま たにえもん
[本名] 市毛 谷右衛門(いちげ たにえもん)
[所属部屋] 出羽海部屋
[生年月日] 1874年(明治7年)1月19日
[出身地] 茨城県水戸市
[身長] 174㎝
[体重] 146㎏
[幕内通算成績] 150勝15敗22分2預131休
[優勝相当の成績] 6回(優勝制度が制定される1909年(明治42年)以前の成績)
[優勝] 1回

分…引分
預…預かり(物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めないこと)
無…無勝負(勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司は勝敗の裁定をなしにすることができた)

常陸山谷右衛門が横綱になるまでの道のり

1892年(明治25年)6月 序ノ口
1898年(明治31年)5月 新十両
1899年(明治32年)1月 新入幕
1904年(明治37年)1月 新横綱

「角界の聖人」常陸山谷右衛門

常陸山谷右衛門は水戸藩の武術師範をつとめる武士の家に生まれました。

常陸山谷右衛門の初土俵は東京でしたが、1895年(明治28年)6月に幕下で負け越し、それを恥じた常陸山谷右衛門は10月に部屋から脱走してしまいます。その後、名古屋を経て大阪相撲へと移り、1897年(明治30年)4月に東京に戻って5月に幕下格で再出発しました。

また、第20代横綱梅ヶ谷藤太郎(二代目)と同時に横綱へ昇進します。大関のころから続く2人の対戦は常陸山の剛と梅ヶ谷の柔がぶつかり合って熱戦となり、「梅常陸」と呼ばれ大相撲を盛り上げました。

常陸山谷右衛門は必ず相手を受けて立つ取組で、相手に十分相撲を取らせてから豪快な「泉川」や「ため出し」で土俵の外に飛ばすのを得意としました。

1914年(大正3年)5月に引退し、引退後は年寄出羽海として、第26代横綱大錦卯一郎、第27代横綱栃木山守也、第31代横綱常ノ花寛市、大関対馬洋、大関大ノ里、大関常陸岩を育てました。

常陸山谷右衛門は立派な人柄と実力を備えた力士で、現役中に出羽海部屋を継承し、現役中から引退後を通じて相撲の向上や力士の生活向上のため、相撲界全体の改革に努めました。

相撲界への貢献の大きさから「角界の聖人」として尊敬され「角聖(かくせい)」または「御大(おんたい)」と尊称されました。

そして1922年(大正11年)6月19日、48歳で亡くなりました。

※敬称略

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