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【第25代横綱】西ノ海嘉治郎(二代目)(にしのうみかじろう)

最終更新日:2018.12.24

西ノ海嘉治郎が相撲界へ入門するきっかけ

西ノ海嘉治郎(二代目)は鹿児島県の種子島で生まれました。

子供のころから目立つ体格だった西ノ海は、15、16歳のころには島一番の大男と評判が立ち、周囲から角界入りを勧められます。西ノ海本人も相撲界へ入門する気でいましたが、父親の猛反対により入門は叶いませんでした。

しかし、1899年(明治32年)の秋、巡業に訪れた同郷の先輩関脇逆鉾による熱心な口説きに父親が折れ、晴れて第16横綱西ノ海嘉治郎(初代)の井筒部屋に入門します。

【第16代横綱】初代西ノ海嘉次郎(にしのうみかじろう)

【第16代横綱】初代西ノ海嘉次郎(にしのうみかじろう)

歴代の横綱

若手の有望株「幕下三人男」の一人として注目されて

西ノ海嘉治郎の幕下時代、のちに大関となる伊勢ノ濱、同じくのちに大関朝潮となる朝嵐とともに「幕下三人男」と呼ばれ、将来を期待される若手の有望株として人気を集めました。

1909年(明治42年)6月に錦洋のしこ名から西ノ海灘右衛門と改名し、2代目西ノ海となります。そして師匠の井筒が前年の暮れに亡くなっていたこともあり、現役で年寄井筒を襲名し、親方と力士を兼務して土俵に上がることになりました。

また、初の相撲常設館が落成した記念すべきこの六月場所で、第20代横綱梅ヶ谷藤太郎(二代目)と大関國見山と引き分けるなど、5勝2敗2分け1休みと成績は今一つふるいませんでしたが、関脇を連続して4場所務めていた実績から場所後に大関昇進となり、大関を7年間13場所つとめました。

【第20代横綱】梅ヶ谷藤太郎(二代目)(うめがたにとうたろう)

【第20代横綱】梅ヶ谷藤太郎(二代目)(うめがたにとうたろう)

歴代の横綱

遅咲きで横綱に昇進

師匠の七回忌に当たる1914年(大正3年)1月に下の名前を「嘉治郎」と改め、名実ともに2代目西ノ海嘉治郎となります。

西ノ海は長年にわたって大関を守り続けましたが、1916年(大正5年)1月に8勝1分け1休みの好成績で念願の優勝を飾り、大関在位7年、13場所の功績も認められ、場所後の2月に吉田司家から横綱を免許されました。

西ノ海の横綱昇進は36歳で、土俵上の風格、体、取り口ともに堂々とした風格がありましたが、在位5場所中全勤は1場所だけでした。

同時期に横綱を張った第22代横綱太刀山峰右衛門のはその強さを、第24代横綱鳳谷五郎はその人気を誇りましたが、西ノ海はその穏健な人格と土俵での風格で両者を上回っていたといいます。

【第22代横綱】太刀山峰右衛門(たちやまみねえもん)

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歴代の横綱

【第24代横綱】鳳谷五郎(おおとりたにごろう)

【第24代横綱】鳳谷五郎(おおとりたにごろう)

歴代の横綱

強豪太刀山の連勝を止めた西ノ海嘉治郎

西ノ海嘉治郎の温厚な人柄を表してか、やや攻めが遅いものの、組んでも離れてもうまい相撲を取りました。

西ノ海の得意手は典型的な四つ相撲で、相手を左四つで組み止め、185㎝139㎏の巨体でじっくり攻める相撲は地力十分の風格がありました。

また西ノ海は大関5場所目の1912年(明治45年)一月場所8日目、43連勝中の第22代横綱太刀山峰右衛門との対戦で白星を挙げています。

この取組みは立ち上がり激しく突っ張りに出た太刀山を、体を右に開いて叩き込みに被る、あっけない相撲で大殊勲を挙げ太刀山の連勝を止めました。

太刀山の連勝は43で止まりますが、この翌日からまた不敗を誇り56連勝を記録しました。

西ノ海は太刀山の連勝を止め、連勝と連勝の間の貴重な白星を挙げたのです。

引退後は検査役や取締を歴任しつつ東西合併に力を注ぎ、多くの関取を育てる

西ノ海嘉治郎は1918年(大正7年)5月に38歳で引退し、現役時代から兼務していた年寄井筒となり、門下養成に尽力します。

出身地の鹿児島県から西ノ海の徳望を慕って入門者が多かったことに加え、弟子指導のうまさもあって、第30代横綱西ノ海嘉治郎(三代目)、大関豊国、関脇錦洋(二代目)、小結宮城山正見、幕内星甲(二代目)など多くの関取を育て、大正中期から昭和初頭にかけて井筒部屋は栄えました。

また西ノ海が名乗った「星甲」「錦洋」はその後井筒部屋の出世名となり、愛弟子の源氏山が三代目西ノ海を受け継ぎます。

協会内では、勝負検査役から取締、相談役を歴任しつつ、1923年(大正12年)に起こった三河島事件後の不況時代、大阪相撲との東西合併問題などを乗り切り、相撲界に貢献しました。

三河島事件とは、1923年(大正12年)1月9日、春場所直前に関脇以下の東京相撲力士会が待遇改善を求めボイコットした事件です。

しかし1931年(昭和6年)1月27日、役員選挙にからみ他の協会幹部と意見が合わず、自ら命を絶ち50歳で亡くなりました。

西ノ海嘉治郎のひ孫が井筒3兄弟

井筒3兄弟として活躍した元十両鶴嶺山、元関脇逆鉾、元関脇寺尾は、西ノ海嘉治郎のひ孫にあたります。

西ノ海の養女が元弟子の加賀錦(寺尾政喜)と結婚し、そしてその愛娘が関脇鶴ケ嶺と結婚して生まれた息子が井筒3兄弟です。

第25代横綱 西ノ海嘉治郎(二代目)のプロフィール情報

しこ名西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう)
しこ名履歴種子島→星甲→錦洋→西ノ海
所属部屋井筒部屋→関ノ戸部屋→井筒部屋
本名牧瀬 休八(まきせ きゅうはち)→近藤 休八(こんどう きゅうはち)
生年月日1880年(明治13年)2月6日
出身地鹿児島県西之表市西之表川迎
身長185㎝
体重139㎏
幕内通算成績106勝38敗27分9預70休
優勝1回
勝率0.736
得意手左四つ、寄り
年寄名井筒

分…引分
預…預かり(物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めないこと)
無…無勝負(勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司は勝敗の裁定をなしにすることができた)

西ノ海嘉治郎(二代目)の略歴

1880年(明治13年)2月6日 誕生
1899年(明治32年)秋 巡業に訪れた同郷の先輩関脇逆鉾が父親を熱心に説得し角界入門を許可される
1900年(明治33年)1月 種子ケ島のしこ名で初土俵
1900年(明治33年)5月 星甲休八のしこ名で序ノ口
1901年(明治34年)1月 序二段に上がり錦洋と改名
1901年(明治34年)5月 三段目
1902年(明治35年)5月 幕下
1905年(明治38年)5月 新十両
1906年(明治39年)5月 新入幕
1908年(明治41年)1月 新関脇(新入幕4場所目)
1909年(明治42年)6月 西ノ海灘右衛門と改名
1912年(明治45年)1月 43連勝中の第22代横綱太刀山峰右衛門を破る
1914年(大正3年)1月 西ノ海嘉治郎と改名
1916年(大正5年)1月 幕内優勝
1916年(大正5年)2月 横綱免許授与
1916年(大正5年)5月 新横綱
1918年(大正7年)5月 引退
1931年(昭和6年)1月27日(50歳) 没

※敬称略

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