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【第23代横綱】大木戸森右衛門(おおきどもりえもん)

最終更新日:2018.12.18

第23代横綱 大木戸森右衛門のプロフィール

[しこ名] 大木戸 森右衛門
[ふりがな] おおきど もりえもん
[本名] 内田光蔵(うちだ みつぞう)
[所属部屋] 大阪の湊部屋
[生年月日] 1876年(明治9年)5月13日
[出身地] 兵庫県神戸市東灘区
[身長] 177㎝
[体重] 120㎏
[幕内通算成績] 143勝20敗6分4預
[優勝相当の成績] 10回

分…引分
預…預かり(物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めないこと)
無…無勝負(勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司は勝敗の裁定をなしにすることができた)

大木戸森右衛門が横綱になるまでの道のり

1896年(明治29年)9月 序ノ口附出し
1902年(明治35年)6月 新十両
1903年(明治36年)1月 新入幕
1913年(大正2年)1月 新横綱

大木戸森右衛門

大木戸森右衛門は1908年(明治41年)6月から3場所連続で全勝優勝したので、大阪角力協会は吉田司家に横綱免許を申請します。しかしこの申請は許可されず、結局1910年(明治43年)1月に大阪角力協会が独自に横綱免許を大木戸森右衛門に与えました。

独自に横綱免許を与えたことに怒った吉田司家は大阪角力協会を破門し、それによって東京角力協会も大阪角力協会と絶縁とします。

しかし、その2年後に両協会は和解し、大阪角力協会も吉田司家に謝罪して破門を解かれたので、1912年(大正元年)12月に大木戸森右衛門へなんとか横綱免許を授与されました。

現役中は第19代横綱常陸山谷右衛門の勧めで東京角力協会に加入しようとしますが、大阪角力協会が看板力士を放したがらず、結局東京角力協会への加入は実現しませんでした。

【第19代横綱】常陸山谷右衛門(ひたちやまたにえもん)

【第19代横綱】常陸山谷右衛門(ひたちやまたにえもん)

歴代の横綱

大木戸森右衛門は横綱免許が授与された4ヶ月後に脳内出血で倒れ、そのまま1914年(大正3年)1月に引退します。引退後は大阪相撲の頭取湊を襲名したものの病気が回復することはなく、1916年(大正5年)に廃業します。

そして1930年(昭和5年)11月7日、54歳で亡くなりました。

※敬称略

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