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【第26代横綱】大錦卯一郎(おおにしきういちろう)

最終更新日:2018.12.25

大錦卯一郎が相撲界へ入門するまで

大錦卯一郎は当時の力士としては珍しい、地元の名門である天王寺中学校(現・天王寺高校)を卒業したとても頭が良いインテリ力士でした。

大錦の頭の良さを紹介するエピソードとして、大錦が相撲界へ入門するにあたって、第19代横綱常陸山谷右衛門にローマ字で入門を願う手紙を出したところ、同じく中学出身の常陸山もローマ字で返事をしたという話があります。

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歴代の横綱

これは常陸山と大錦の頭の良さを紹介するために作られたものだといわれていますが、こんな作り話が生まれるほど当時としては珍しいタイプの力士だったことが考えられます。

「大錦」のしこ名の由来

大錦卯一郎ははじめ、常陸山谷右衛門に会ったとき「大常陸」というしこ名を希望したそうです。しかし「将来、成功して大阪へ錦を飾る」という意味を込めて「大錦」と名づけられました。

近代相撲の開祖「大錦の頭脳相撲」

大錦卯一郎は初土俵以来、負け越しはたった1場所のみという好成績を残して新入幕を果たします。

その後、大錦は新入幕から六場所目で横綱となり、これは出世の史上最短記録で現在も破られていません。

大錦は相手の機先を制する鋭い立ち合いとスピード感あふれた出足での寄り身、相手を腹の上に乗せる吊り出しを得意とし、土俵上では剛胆さや気迫、相手を圧倒する風格があったといいます。

恵まれた体躯で難なく横綱へと昇進したかのようにみえますが、実は大錦は生まれつき非力で足腰も強いとはいえず、稽古場では格下の力士にも分が悪かったといわれています。

その分の悪さをカバーしたのが対戦相手の研究です。

大錦は相手の心理状態から顔面神経の動きなど、相手の仕切りの癖まで綿密に研究し、加えて瞬間的に圧勝する工夫を怠らず、その研究熱心な姿から「大錦の頭脳相撲」と称されました。

「大錦の頭脳相撲」は稽古から

大錦卯一郎の持論として、漫然と稽古をするのではなく、いつも本場所を想定して稽古(取組の研究)をしていました。

本場所を想定して稽古をする

大錦卯一郎は来場所の番付を想定し、東方なら東方、西方なら西方の方向からしか稽古をしませんでした。

現在の大相撲は、東方か西方かで固定されて取組が行われることはありませんが、当時の大相撲は東西対抗の形をとっていたので東方か西方かに固定されて取組が行われていました。

また、10日間の東西幕内力士の総白星が多いほうが東方に、少ない方が西方になるので、本場所が終わると次の場所は東方か西方かどちらにまわるか簡単にわかる仕組みです。

東方から土俵に上がれば仕切った左側に行司がおり、西方であれば右側にいることになります。

大錦は来場所、自分がまわるほうの側で稽古をすることで、常に行司の位置を頭に入れ、行司の動きも研究の対象として稽古をしていました。

本場所に近い環境を作って稽古をする

大錦卯一郎はなるべく本場所に近い環境を作って稽古をしていました。

本場所では会場に電灯がつきますが、お昼頃までに稽古が終わる稽古場では電灯は必要ありません。

しかし大錦は、相手の筋肉の動き、目の色など本場所と同じ光線の具合になるよう、稽古場でも本場所と同じように電灯をつけ稽古をしていました。

本場所に近い状態で稽古をする

大錦卯一郎はまわしについてもこだわりがありました。

通常稽古場で使用するのは木綿のまわしです。木綿のまわしだと布地が固く、相手にまわしを引かれても切るのが楽で、反対に相手のまわしを引く場合、布地が固いので十分にまわしをつかめず相手にまわしを切られやすくなります。

しかし本場所で締めるまわしは絹のまわしです。木綿と違って絹地のまわしは柔らかいため、相手にまわしを引かれると切りにくく、相手のまわしもつかみやすくなります。

そのため木綿の稽古まわしだけで稽古をしていても本場所では、力の入れよう、腰の具合などもだいぶ違うところがあるため、本場所と同じ絹のまわしを使って稽古をしていました。

他人の稽古をしっかり見る

大錦卯一郎は他人の稽古を見るのも稽古のひとつだと考えていました。

自身が稽古をする場合、こうしたから勝った、こうしたから負けたいう自分自身のことはわかります。

しかし、他人同士の稽古を見ていると双方の動きや変化を同時に知ることができ、自分でやるときは一の知識しか得られないのが、他人の稽古を見ていると二の研究を積むことができるといって、大錦が横綱になっても自分の稽古以上に他人同士の稽古を見学していたといいます。

縁起をかつぐ

理論的で研究熱心でありながら、大錦卯一郎には縁起にこだわる一面もありました。

縁起にこだわったこんなエピソードがあります。

ある日、部屋から場所へ行く途中にある小間物屋で、店番として後家さんが座っていました。

その日に限って格下相手の力士に負けてしまった大錦はそれ以来、外出するときは必ず例の小間物屋に後家さんが座っているかどうか付け人に見に行かせ、いないとわかると一目散に通りすぎ、座っているときはわざわざ回り道をして後家さんと会わないようにしていたそうです。

三河島事件の責任を取り自らマゲを切って引退

大錦卯一郎の引退は突然のことでした。

1923年(大正12年)の春場所前、関脇以下の力士会が待遇改善を求めて協会と対立した三河島事件(みかわしまじけん)が起こりました。

協会と力士会が養老金、本場所の配当金の増額などをめぐって対立し、各力士の後援会世話人で組織する角道懇話会、横綱・大関・立行司の七人組が両者の間に立ちましたがなかなか調停には至りませんでした。

しかし、この事件は部外者である赤池警視総監の調停によりあっさりと解決を迎えます。

その後、和解の宴席が1月18日に日比谷平野屋で行われ、式の途中で席を外した大錦は、別室で自ら髷を切って廃業しました。

髷を切って席に現れた大錦を見て、なごやかだった空気は一気に凍りついたといわれています。

大錦は「今度の紛擾(ふんじょう:もめごとのこと)は、天下に対し誠に申し訳のない、相撲道の不祥事でございます。しかし、これも時勢のしからむるところ…」と悲痛の面持ちであいさつを述べたそうです。

髷を切った理由は、調停に入ったのに解決できなかったから、事件の責任を取ったからなどといわれていますが、その他にも不本意な結果に終わったことに対する唯一の反抗として髷を切ったのではないかともいわれています。

大錦はお酒も飲まず、日常生活も謹厳で当時の相撲社会には少なからずなじみきれないものを自他ともに持っており、前年に師匠である出羽ノ海が急逝して跡目相続に指名されなかったとこも一因していると噂されました。

横綱としてまだ4、5年は取れる力量を残しながら大錦は自らの相撲人生の幕を引いたのでした。

廃業後

廃業後、大錦卯一郎は東京の築地で「細川旅館」を経営しながら早稲田大学政経学部政治科で聴講生となって政治を学びます。のちに報知新聞の最高嘱託となり、大相撲に尽くすところも少なくなかったようです。

そして1941年(昭和16年)5月13日、49歳で亡くなりました。

小説「出世五人男」に登場する「伊能猪之吉」のモデルは大錦卯一郎

大錦卯一郎が卒業した天王寺中学校(現・天王寺高校)の1学年先輩であり、小学校からの知り合いである宇野浩が書いた小説「出世五人男」に出てくる「伊能猪之吉」のモデルは大錦だといわれています。

第26代横綱 大錦卯一郎のプロフィール情報

しこ名大錦 卯一郎(おおにしき ういちろう)
しこ名履歴
所属部屋出羽ノ海部屋
本名細川 卯一郎(ほそかわ ういちろう)
生年月日1891年(明治24年)11月25日
出身地大阪府大阪市中央区中之島内
身長176㎝
体重141㎏
幕内通算成績119勝16敗3分
優勝5回
勝率0.881
得意手左四つ、吊り、寄り
年寄名

分…引分

第26代横綱 大錦卯一郎の略歴

1891年(明治24年)11月25日 誕生
1910年(明治43年)1月 初土俵
1914年(大正3年)1月 新十両
1915年(大正4年)1月 新入幕
1915年(大正4年)6月 新小結
1916年(大正5年)1月 新大関
1917年(大正6年)1月 横綱太刀山との全勝対決で勝利
1917年(大正6年)3月 横綱免許授与
1917年(大正6年)5月 新横綱
1923年(大正12年)1月 三河島事件発生
1923年(大正12年)1月18日 引退
1941年(昭和16年)5月13日 49歳で没

※敬称略

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