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【第8代横綱】不知火諾右衛門(しらぬい だくえもん/なぎえもん?)

最終更新日:2018.11.25

第8代横綱 不知火諾右衛門のプロフィール

[しこ名] 不知火 諾右衛門
[ふりがな] しらぬい だくえもん(なぎえもん?)
[本名] 近久信次
[所属部屋] 大阪では湊部屋・江戸では浦風部屋
[しこ名履歴] 濃錦里(のぎのさと) → 不知火
[生年月日] 1801年(享和元年)生まれ
[出身地] 熊本県宇土市
[身長] 176㎝
[体重] 135㎏
[幕内通算成績] 48勝15敗3分2預1無
[優勝相当の成績] 1回

分…引分
預…預かり(物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めないこと)
無…無勝負(勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司は勝敗の裁定をなしにすることができた)

不知火諾右衛門が横綱になるまでの道のり

1830年(文政13年)11月 二段目附出しとして江戸での初土俵
1837年(天保8年)1月 新入幕
1839年(天保10年) 入幕後5場所で小結・関脇を経ずに前頭筆頭→大関へ
1840年(天保11年)11月 横綱免許

不知火諾右衛門は横綱のなかで唯一番付が落ちた力士!

不知火諾右衛門は第8代横綱でありながら、歴代の横綱のなかで唯一番付を落とした力士です。

1840年(天保11年)に不知火諾右衛門は第横綱免許を授けられましたが、その翌年、1841年(天保12年)には一時期番付から名前が消えたり、名前があっても休場したりしていたようです。

さらにその翌年、1842年(天保13年)の春に番付を下げ関脇として復活し、その際しこ名を「濃錦里(のぎのさと)」から「不知火」へ改名しました。

現代の横綱は「負け越しても降格しない。横綱としての責任を果たせない場合は引退するのみ」という決まりがあり、過去、大関に降格させてほしいという申し出をした横綱がいたそうですが相撲協会は認めませんでした。

ではどうして不知火諾右衛門は引退せず、番付を下げることができたのでしょうか。江戸時代の横綱制度が降格を認めているのかといえば、そうではありません。

なぜ不知火諾右衛門が番付を下げることができたかというと、「横綱」はあくまで土俵入りという儀式を行う力士の名称であり、当時は「大関」が番付の最高位だったことが関係します。

つまり「横綱」として土俵入りを行う権利があったとしても、番付はあくまで「大関」なので番付を下げる可能性も十分にありえたということです。

ちなみに横綱が最高位とされたのはなんと1909年(明治42年)になってのこと。(わりと最近だと感じるのは私だけでしょうか…)

不知火諾右衛門は1844年(天保15年)1月に引退し、引退後は大阪に帰って頭取をつとめました。

そして1854年(嘉永7年)閏7月24日に54歳で亡くなりました。

ちなみに、現在行われている横綱土俵入りの型の一つ「不知火型」の名前は、この第8代横綱の不知火ではなく弟子である第11代横綱不知火光右衛門から取った名前になります。

参考URL:「Wikipedia」様より「不知火諾右衛門」

※敬称略

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