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【第27代横綱】栃木山守也(とちぎやまもりや)

最終更新日:2018.12.26

栃木山守也が相撲界へ入門したきっかけ

栃木山守也は栃木県の農家に生まれ、少年時代から筋骨たくましく、家業の農家を手伝うかたわら相撲を好んで取っていました。

「日本一の者になりたい」という夢を持ち密かに力士を志していましたが、長男であり、跡取りのため父親は角界入りに猛反対します。

18歳で結婚させられますが、どうしても力士になりたかった栃木山は家出同然で上京し、出羽ノ海部屋に入門しました。

最強の小兵横綱「栃木山守也」

栃木山守也は1911年(明治44年)2月に郷土の名を取った栃木山のしこ名で初土俵を踏みます。

栃木山は序ノ口に出てから負け知らずで各段1場所で幕下まで進み、幕下でのちの大関千葉ケ崎に土をつけられるまで21連勝を記録する段違いの強みをみせ十両に上がりました。

十両も二場所で通過して新入幕を果たし、初土俵以来1場所1回以上負けたことがなかった栃木山は、新入幕の場所で初めて2敗を喫しますが、それでも8勝2敗の好成績を収め、入幕4場所目には小結に昇進します。

そして「栃木山守也」の名前を一気に全国に知らしめたのが、第22代横綱太刀山峰右衛門の連勝を56で止めた「世紀の大一番」と呼ばれる取組です。

【第22代横綱】太刀山峰右衛門(たちやまみねえもん)

【第22代横綱】太刀山峰右衛門(たちやまみねえもん)

歴代の横綱

1916年(大正5年)五月場所の8日目、当時無敵といわれた太刀山を56連勝で阻止する殊勲をあげたのです。

栃木山と太刀山の対戦は2回目で、初顔合わせのときには簡単に負けていました。体格的にも差があり、圧倒的に太刀山が有利だと思われていた取組です。

しかし、栃木山は臆することなく太刀山にぶつかると、突っ張れないとみた太刀山が左から引っ張りこんで右から割り出そうとするところを栃木山が右から思い切りよく掬うと太刀山がよろけ、そこに頭をつけて寄り切りました。

太刀山に対しもろ差しから堂々と寄り切って勝った栃木山が引き上げるとき、栃木山の背中には百円札(現在の価値で10万円以上)が2枚張りついていたといいます。

その後、太刀山は膝の負傷でなどのため一場所しか土俵に上がれず引退し、太刀山から栃木山へ世代交代ともいえる一番になりました。

関脇から大関昇進となった栃木山はさらにめざましい活躍を見せます。

新大関の場所では9勝1預かりで初優勝、さらに翌場所は10戦全勝で優勝を飾る連続優勝し、大関2場所で横綱免許を授与されました。

横綱に昇進してもその勢いは止まりません。

さらに新横綱の場所も9勝1敗で、連勝記録は29で止まったものの3度目の優勝を果たし、その次の場所も9勝1休みで優勝、さらに次の場所も10戦全勝で優勝を飾り5連覇を成し遂げました。

少年のころの「日本一の者になりたい」という夢を叶え、まさに大相撲の第一人者となったのです。

優勝に恵まれなかった期間もありますが、そのころの出羽ノ海部屋には第26代横綱大錦卯一郎、大関常ノ花(後の第31代横綱)がいて、栃木山を含めた3人で毎場所優勝争いをしている状態であり、まさに出羽ノ海部屋全盛期を誇っていた時代でした。

【第26代横綱】大錦卯一郎(おおにしきういちろう)

【第26代横綱】大錦卯一郎(おおにしきういちろう)

歴代の横綱

優勝にはならなかったものの、同点、あるいは第2位、悪くても3位に入る成績を挙げていた栃木山の強さははかりしれないものがあります。

同輩の横綱大錦が三河島事件で劇的な引退をしましたが、栃木山は相変わらずの強さを発揮し、横綱になって2回目の3連続優勝をした直後にあっさり引退を表明しました。

「今が花だと思うから」全盛期での引退

栃木山守也は大関で連続優勝し横綱昇進直後に三連続優勝、その後に二度目の三連続優勝をした直後、まだまだ相撲が取れる強さを持ちつつ引退しました。

栃木山は引退について「力が衰えてからやめるのは本意ではない。今が花だと思うから」と語るだけでした。

しかし、一節には髪が非常に少なくなり、土俵入りの際に「ハゲ頭、薬缶頭」のヤジを気にしたから、3連覇しながら張り出されていたから(栃木山の場合は特別な別格横綱であり、番付の性格上不可解な処置だった)など、世間では様々な憶測が語られました。

小兵横綱の押し相撲

栃木山守也は100㎏ちょっとの軽量ながら、鍛え上げた体を武器に正攻法の押し相撲を武器にしていました。

栃木山守也の稽古熱心は有名であり、師匠の出羽ノ海(元横綱常陸山)の好指導もあって成長したといいます。

栃木山は体格には恵まれませんでしたが、足腰にバネがあり、腰を割った鋭い出足と抜群の腕力による左はず押しで相手にまわしを取らせず、大きな相手でも一気に土俵外へもっていく型をもっていました。

勝負がついた後の土俵の上にはすり足が跡になって残り、まさに電車道で勝つ相撲だったようです。

左は差してもかいなを返し、右からおっつけてはずに掛かる取り口で横綱まで登りつめました。

また人格、面倒見も良く、仲間内では評判の横綱だったようです。

引退後

引退後は養父の春日野(元行司・木村宗四朗)の名を譲られ、年寄り春日野を襲名し、春日野部屋を興します。

年寄となって間もなく欧米漫遊に出かけ各国の競技界を視察するとともに、パリでは藤田嗣治(ふじたつぐはる)の絵のモデルになり、ニューヨークでは野球選手やボクサー、レスラーらと会談し、また米国西沿岸在住の邦人に相撲を指導したりして見聞を広め、1年後に帰国しました。

帰国後すぐ、協会内では勝負検査役から取締に選任され、温厚な人柄で協会の運営にあたり、同朋の藤島(元横綱常ノ花。のちの出羽ノ海)とともに協会興隆に尽力します。

また春日野部屋の当主として門下養成に尽力し温厚篤実な指導で、第44代横綱栃錦、第49代横綱栃ノ梅、大関栃光ら名力士を育て上げ、出羽ノ海一門の繁栄に貢献しました。

そして栃木山といえば、引退後もその強さを誇ったできごとがあります。

1931年(昭和6年)6月に「第1回大日本相撲選士権大会」が開催され、現役に交じって年寄で腕に覚えのある者も特別に参加するなか、40歳になった栃木山も年寄春日野として出場しました。

他にも年寄では元横綱常ノ花の藤島、同じく元横綱3代目西ノ海の浅香山らも出場し早々に敗退していったなか、春日野(栃木山)だけは現役をどんどん破って勝ち進み、とうとう三つ巴の決勝戦で大関玉錦(のちの横綱)をすくい投げで、関脇天龍を下手投げに降ろして見事優勝を飾りました。

引退後もまわしを締め弟子の指導をしながら栃木山自身の鍛錬も怠らなかったとはいえ、驚異的な持久力を見せつけたできごとでした。

栃木山の晩年、弟子の栃錦を養子に迎え、さらなる活躍を期待されていましたが、年寄停年制が実施される前の1959年(昭和34年)10月に67歳で亡くなりました。

32年の長い間要職に就いた生前の功により協会葬となり、そして相撲人としては初めて「勲四等瑞宝章」を追贈されました。

もりなり?もりや?

栃木山は十両入り前まで、下の名を「守成」と番付に書かれ、その後は「守也」となります。

読み方は「もりなり」が正しいようですが、のちに「もりや」と読ませたようです。

第27代横綱 栃木山守也のプロフィール情報

しこ名栃木山 守也(とちぎやま もりや)
しこ名履歴
所属部屋出羽ノ海部屋
本名横田守也→中田守也
生年月日1892年(明治25年)2月5日
出身地栃木県栃木市藤岡町赤麻村
身長173㎝
体重104㎏
幕内通算成績166勝23敗6分1痛分4預24休
優勝9回
勝率0.878
得意手左はず押し
年寄名春日野

分…引分
預…預かり(物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めないこと)
無…無勝負(勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司は勝敗の裁定をなしにすることができた)

栃木山守也の略歴

1892年(明治25年)2月5日 誕生
1910年(明治43年)秋 出羽ノ海部屋に入門
1911年(明治44年)2月 栃木山のしこ名で初土俵
1911年(明治44年)6月 序ノ口
1913年(大正2年)5月 幕下で21連勝(のちの大関千葉ケ崎によって連勝ストップ)
1914年(大正3年)1月 新十両
1915年(大正4年)1月 新入幕
1916年(大正5年)5月 新小結
1916年(大正5年)5月 本場所8日目横綱太刀山の56連勝を止める白星
1917年(大正6年)1月 新関脇
1917年(大正6年) 新大関
1918年(大正7年)5月 横綱
1925年(大正14年)5月 引退
1926年(大正15年)3月 欧米漫遊
1931年(昭和6年)6月 第1回大日本相撲選手権大会で優勝
1932年(昭和7年) 取締を務める
1959年(昭和34年)10月3日 67歳で没

※敬称略

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