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【第15代横綱】初代梅ヶ谷藤太郎(うめがたにとうたろう)

最終更新日:2018.12.01

第15代横綱 初代梅ヶ谷藤太郎のプロフィール

[しこ名] 梅ヶ谷 藤太郎
[ふりがな] うめがたに とうたろう
[本名] 小江藤太郎(おえとうたろう)
[所属部屋] 大阪の湊部屋→東京の玉垣部屋→梅ヶ谷部屋
[生年月日] 1845年(弘化2年)2月9日
[出身地] 福岡県朝倉市
[身長] 176㎝
[体重] 120㎏
[幕内通算成績] 116勝6敗18分2預
[優勝相当の成績] 9回

分…引分
預…預かり(物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めないこと)
無…無勝負(勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司は勝敗の裁定をなしにすることができた)

初代梅ヶ谷藤太郎が横綱になるまでの道のり

1871年(明治4年)3月 東京で初土俵(番付外)
1874(明治7年)12月 新入幕
1884(明治17年)2月 横綱免許

大関から番付外へ。逆境に耐え横綱となった初代梅ヶ谷藤太郎

初代梅ヶ谷藤太郎は大阪相撲で大関を張るという実力がありながら、東京に移っての初土俵は番付外からのスタートでした。

これは当時の大阪相撲を格下に見る習慣のためでしたが(大坂から来た力士は誰でも関係なく嫌がられるという風潮があったようです)、梅ヶ谷藤太郎はこの逆境に耐えて稽古を重ねました。

梅ヶ谷藤太郎は鉄砲(突っ張り)や筈押しを得意とし、相手にまわしを与えない堅実な取り口で、1876年(明治9年)から58連勝、35連勝するなど立派な成績を収め、衰退しかけていた大相撲を盛り立てました。

1884年(明治17年)に時の内宮卿・伊藤博文参議から天覧相撲の申し入れが相撲協会にありましたが、第14代横綱境川浪右衛門はすでに引退していたため、横綱土俵入りを見せられる力士がいませんでした。

【第14代横綱】境川浪右衛門(さかいがわなみえもん)

【第14代横綱】境川浪右衛門(さかいがわなみえもん)

歴代の横綱

そこで梅ヶ谷藤太郎に横綱免許を与えて土俵入りをさせることになりましたが、化粧まわしを作るお金がなく本人はいったん辞退します。しかし、伊藤博文の力添えで化粧まわしから紋付羽織まで作ってもらい、その化粧まわしで天覧相撲の土俵入りを無事務めることができたといいます。

1885(明治18年)5月に引退し、引退後は現役名で年寄になりましたが後に雷(いかずち)を襲名して相撲界の改革につとめました。旧両国国技館の建設のときには、梅ヶ谷藤太郎の人徳によって資金調達を得るなど、現役中から引退後まで、大相撲再建に尽くした梅ヶ谷藤太郎の功績はたいへん大きなものでした。

その後、二代目梅ヶ谷に雷の年寄名跡を譲ってからは「大雷(おおいかずち)」とよばれ、1928年(昭和3年)6月15日、83歳で亡くなりました。

※敬称略

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