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【第21代横綱】若島権四朗(わかしまごんしろう)

最終更新日:2018.12.16

第21代横綱 若島権四朗のプロフィール

[しこ名] 若島 権四朗
[ふりがな] わかしま ごんしろう
[本名] 高橋権四朗→加藤権四郎
[所属部屋] 東京では楯山部屋→友綱部屋→粂川部屋、大阪では中村部屋
[生年月日] 1876年(明治9年)1月19日
[出身地] 千葉県市川市
[身長] 178㎝
[体重] 115㎏
[幕内通算成績]
東京:13勝26敗4分1預
大阪:73勝7敗5分3預
[優勝相当の成績] 4回

分…引分
預…預かり(物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めないこと)
無…無勝負(勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司は勝敗の裁定をなしにすることができた)

若島権四朗が横綱になるまでの道のり

1891年(明治24年)5月 東京で初めて序ノ口として番付に載る
1895年(明治28年)6月 新十両
1896年(明治29年)1月 新入幕
1898年(明治31年)1月 東京最終場所
1898年(明治31年)4月 大阪十両格附出し
1903年(明治36年)1月 大阪横綱免許
1905年(明治38年)6月 横綱免許

波乱万丈の若島権四朗の力士人生

「有為転変は世の習い」といいますが、若島権四朗もまさにそのような力士人生を歩みました。

1891年(明治24年)の10月に巡業先の大垣で濃尾地震に遭遇し、兄弟子の楯甲の屋外に突き出されて若島権四朗は助かりますが、助けた兄弟子の楯甲は崩れた屋内で圧死するという経験します。

それから若島権四朗は東京で幕内まで昇進しますが、1897年(明治30年)5月に天然痘にかかります。体重が減って巡業でも勝てなくなり、結局1898年(明治31年)に大阪相撲で再出発します。

その後は精進して、突っ張り、すくい投げ、出し投げ、蹴手繰り(けたぐり)など動きの速い相撲で大阪相撲で活躍しました。

しかし横綱在位中に巡業先の山口で自転車で転倒して頭を強打し、その傷が治らずに1907年(明治40年)1月に引退。現役名で大阪相撲の頭取となりましたが、翌1908年(明治41年)6月限りで廃業し、実業界に転身しました。

そして1943年(昭和18年)10月23日、67歳で亡くなりました。

※敬称略

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